平賀源内
享保13年(1728)~安永8年(1779)
江戸のコピーライターといえば
やはり筆頭は讃岐・高松藩生まれの平賀源内ということになるでしょう
その源内がコピーライターとして名を上げたのが、土用の丑の日を
うなぎの日にした話
実はこの話、真偽のほどは定かではありませんが
「土用の丑の日」は、ウナギにとっては、仏滅の大厄日であるが
この日にウナギを食することを発案したのは、エレキテル先生というか
戯作者であり本草学の大家として江戸の人気者・平賀源内というのが定説みたいになっているが証拠はない
しかし、だからといって、頭から否定もできない所がある
なにしろ、源内先生は大の蒲焼き党だ
自著の『吉原細見里のおだ巻評』では
「江戸前うなぎと、旅うなぎほどの旨味は違わず」といって、
江戸前のウナギがはるかに味のよいことを力説
『風流志道転伝』でも、「厭離江戸前大蒲焼」と唱えている
ある暑い日のこと・・・。源内先生の所へ、ウナギ屋がやってきて
「こう暑くちゃ、ウナギはさっぱり売れません。いいアイディアはありませんか」と泣きついた。
その日が、ちょうど土用の丑の日だったので
大きな板に「本日は土用の丑、鰻食うべし」と大書し
これを店の前に立てておくようにといった。
ウナギ屋がその通りにすると、果して大入り満員の大繁盛となった
本草学には、”薬食同源”的発想も含まれているのは言うまでもない
源内先生は、ウナギの食効についても、まちがいなく通じていた。
そこで、体調をくずしやすい酷暑の土用をのりきるための処方として
ビタミンやミネラル、強精などの特殊成分
タンパク質、脂肪などの豊富なウナギで
体力を強化することをすすめたのではないだろうか。
その上、『方屁論』などという抱腹絶倒の著作をものにするほどの、無類のユーモリスト。面白半分に「本日は土用の丑の日」という名コピーをひねり出すくらいはチョチョイのチョイだろう
土用の頃からウナギに脂がのりはじめ、美味になっていく
科学者の彼は、その辺のことは熟知していた
秋になると、ウナギは産卵のために海に向かって下るが
その前に脂をたくわえるのだ!
以上、味覚春秋6月号「人物たべもの伝」より抜粋
「土用の丑の日、うなぎの日。うなぎは腎水を増し 精気を強くし、食すれば夏負けすることなし」 と、
暑い夏のスタミナ食として 売り込んだとされています。
土用丑の日とウナギ
夏の土用の時期は暑さが厳しく夏バテをしやすい時期ですから、昔から「精の付くもの」を食べる習慣があり、土用蜆(しじみ)、土用餅、土用卵などの言葉が今も残っています。また精の付くものとしては「ウナギ」も奈良時代頃から有名だったようで、土用ウナギという風に結びついたのでしょう。
今のように土用にウナギを食べる習慣が一般化したきっかけは幕末の万能学者として有名な平賀源内が夏場にウナギが売れないのでなんとかしたいと近所のウナギ屋に相談され、『本日丑の日』と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことがきっかけだと言われています。でも、「本日丑の日」でなぜ大繁盛したのか私には今ひとつ納得できないのですが・・・。
後日・追記 2004.07.20 (長崎F.Mさんから)
この疑問になるほどと思える解釈を、F.Mさんから教えて頂きました。
「本日丑の日」
と書いたことにより、好奇心旺盛な江戸っ子が、
熊さん なんだい、土用の丑の日ってのは
鰻 屋 へい、昔から土用の丑の日といえば、うなぎてことになってやして
熊さん へえ、知らなかったな。八つぁん、おめえ知ってたかい
ハつぁん あたぼうよ、一つ焼いてもらおうと思ってたところじゃねぇか
(*もちろん八つぁんがそんな話を知っているはずがない。知ったかぶり)
熊さん さすが八つぁんは物知りだ。よし親爺、俺にも一つ焼いてくんな
鰻 屋 へい、毎度ありがとうござい!
という具合に、この張り紙がきっかけで口コミで鰻が売れるようになったとか。そう言われると、なかなか人間の心理を突いたうまいやり口である。
F.Mさんも、出典は不明ときていらっしゃいました。いずれどこかで見つけたら、また補足することにします。ありがとうございました。
(鰻屋、熊さん、八つぁんの会話は、かわうその創作です)
なぜ丑の日なのか?、ウナギなのか?
丑の日とウナギの関係ですが、丑の日の「う」からこの日に「うのつくもの」を食べると病気のならないという迷信もあり、「ウナギ」もこれに合致した食べ物であったとも、「うし」の文字がウナギを連想させたためだとも言われます。
それにしてもなぜ「丑の日」で「卯の日、寅の日・・」でないのか、この辺の謎は私には判りませんでした。どなたかご存知の方、ご教授ください。